【その一言が、相手の何を壊すのか】

先日、息子が上級生から、父親が選挙に受かるはずがない、といった趣旨の言葉を向けられたと聞きました。学校には、すでに伝えています。

私自身が選挙に出て、自分の発言や行動について意見を言われることと、その子どもに親のことを持ち出して言葉を向けることは、別の問題です。息子が立候補したわけでも、選挙の結果に責任を持つわけでもありません。

息子には、半年ほど学校に行けなかった時期があります。学校の門の前まで行っても、怖くて入れず、立ち止まって涙を流していた。学校や先生への怖さがあり、行こうとしても足が進まない。そういう状態でした。

親も仕事を辞め、生活を変えて、八丈島に移ってきました。そして島に来てから、息子は一日も学校を休まずに通っています。

その毎日を、こちらは軽く考えていません。以前の姿を見ているからこそ、今、学校に通えていることには大きな意味があります。

もし不用意な一言をきっかけに、また学校が怖くなったら。行きたくない、行けないとなったら。心の調子を崩すようなことになったら。

言った側には、その場限りの軽口でも、受け取った側の生活は、その後も続きます。学校へ行くことや、人に会うことまで変わってしまう可能性がある。その重さを考えられないことに、私は危機感があります。

もちろん、相手の子が息子の背景を知っていたとは思っていません。

でも、背景を知らないことは、何を言ってもよい理由にはならないでしょう。むしろ、自分には見えていない事情が、その人にはあるかもしれない。そこを想像する必要があります。

家庭のこと、学校での経験、体調、人との関係。外から見ただけでは分からない条件を、それぞれが抱えています。今、普通に通っているように見えるからといって、そこに至るまで何もなかったとは限りません。

事情を全部説明しなければ配慮されないのだとしたら、それもおかしい。知らないことがある、という前提で人と関わることを、学んでいく必要があると思います。

選挙中、学童の子から「受かるなよ!」と言われたこともありました。こちらは、落選したら学童に戻ってくると知っていて、戻ってきてほしいという気持ちから出た言葉でした。

同じように選挙や落選に触れていても、誰が、誰に、どんな関係から言うのかで意味は変わります。大人本人に向けた親しさのある言葉と、その子どもを下げるために向ける言葉を、同じには扱えません。

言葉は、内容だけで意味が決まるものではない。話す側と受け取る側の位置、年齢、関係、その場から離れられるかどうかまで含めて、相手への届き方は変わります。

上級生から下級生へ向ける言葉なら、その関係も考える必要があるでしょう。言い返せるか、嫌だと言えるか。その場で笑っていたとしても、平気だったとは限りません。

「子どもの言ったことだから」で済ませる話でもないと思います。子どもだからこそ、まだ分からないことがあり、大人が教える必要がある。

相手の親への評価を、その子に向けてよいのか。自分には冗談でも、相手にはどう届くのか。言った後に何が起きる可能性があるのか。そうしたことも、人と関わりながら学ぶ大切な内容です。

私が島で寺子屋やフラッグ、子どもや家庭の相談をやっている背景にも、子どもたちの関わり方や、周囲の大人の対応への問題意識があります。

勉強を教える、スポーツをする。それを入口に子どもや家庭と接点を持ち、その子がどこにいて、何を感じ、どこで困っているのかを知る。必要なら、別の人や場所につなぐ。

選挙に出たことにも、こういう活動や相談の入口が島にあると、知ってもらいたい気持ちがありました。

人と関わる力は、単に明るく話せるとか、誰とでも仲良くできるということだけではありません。自分には分からない相手の事情を想像し、言葉や行動を選ぶことも、その力の一つだと思います。

学校には、今回の経緯と、これまでの息子の状態、今の生活を損なうことへの懸念を伝えています。毎日通えている場所が、これからも安心して通える場所であってほしいからです。

その一言を、誰に向けるのか。相手はどんな位置にいて、何を背負っているのか。

言う側が軽いつもりだったかどうかだけで、言葉の重さは決まりません。

自戒の意味も込めてまとめました。