【子どもを変えるのか、環境を変えるのか】

最近、気になるニュースがありました。総務省の調査で、不登校の中学生の約2割が、学校の健康診断を全科目受けていなかったというものです。
学校に行けないことで、勉強する機会だけでなく、健康を確認する機会まで失われてしまう。これは、単に不登校の問題というより、教育と医療と福祉をどう配置しているかという問題ではないでしょうか。
学校には、実に多くの機能が集まっています。教科学習、集団生活、友人関係、進路指導、健康診断、相談支援。
学校という場所に来ることができれば、さまざまなサービスをまとめて受けられる。効率的で、便利な仕組みです。でも、そこに来られなくなったときはどうでしょう。
学習だけでなく、健康管理や人とのつながりまで失われてしまうとしたら、それは本人だけの問題とは言えないはずです。
私は教育の仕事を続ける中で、学習障害や発達障害のある子どもたち、学校での学習や集団生活に難しさを感じる子どもたちとも関わってきました。
そこで考えるのは、「できない」という言葉の意味です。
例えば、教室で長時間座っていることが難しい。板書を写すのに時間がかかる。一斉指導では理解が追いつかない。同じ課題を同じ時間にこなすことが苦手。
こうした状況を、本人の能力や努力だけで説明してよいのでしょうか。
座る時間を短くする。課題の量を調整する。口頭で答えられるようにする。学習する場所を変える。本人の得意な方法を使う。
環境を少し変えるだけで、できることが増える場合があります。もちろん、環境を変えれば何でも解決するわけではありません。専門的な支援や本人の練習が必要なこともあります。
ただ、本人に努力を求める前に、こちらが変えられるものはないかと考えたい。
これは寺子屋での学習にも、進路相談にも、フラッグフットボールにも共通する話です。
フラッグでは、走るのが速い子、投げるのが得意な子、相手の動きをよく見ている子、それぞれに違う強みがあります。同じ子でも、どの位置に立ち、どんな役割を担い、誰と組むかによって、発揮できる力は変わります。
学習でも同じです。
「この子は何ができないのか」だけを見るのではなく、「どんな条件なら力を発揮できるのか」を考える。
そして、進路相談では、その子を既存の学校の枠にどう当てはめるかだけでなく、その子に合った学びの場がどこにあるのかを考える。
教育も医療も福祉も、最終的には一人ひとりの生活を支えるためにあるはずです。だったら、子どもが制度に合わせられないとき、制度や支援の側が動くという選択肢も必要でしょう。
人を変えるのではなく、配置を変える。
そんな視点から、これからの教育や地域の仕組みを考えていきたいと思います。


