【人は、どこに立つかで何が変わるのか】

沖山教育研究所

このところ、町議選があり、戸山高校の卒業30周年ホームカミングがあり、いろいろなことを考える機会がありました。

選挙では候補者として島の中を回り、ホームカミングでは30年前の同級生たちと再会する。同じ人間なのに、場所が変わると立場も役割も変わる。

八丈島では島の住民であり、教育に携わる人間であり、子どもたちとフラッグフットボールをする人間でもある。高校の同期会では、ただの同級生に戻る。

早稲田で学んだことも、その後の教育業界での経験も、今の自分を構成している一部ではあるけれど、それだけで何者かが決まるわけでもない。最近、そんなことを考えています。

私は以前から、人や物事の価値は、そのもの単体で決まるのではなく、周囲との関係や置かれた場所によって変わるのではないか、と考えています。いわば「配置論」です。

例えば、学校ではうまくいかない子が、別の学習環境では驚くほど集中することがある。教室では目立たない子が、スポーツでは周囲を引っ張ることもある。

ある集団では居場所がないと感じる人が、別の集団では欠かせない存在になることもある。これは、本人の能力が突然変わったわけではない。その人と周囲との関係が変わったということなのだと思います。

地域も同じではないでしょうか。

島の中だけで解決しようとすると難しいことでも、島の外にいる人とつながることで動き出すことがある。逆に、外から何かを持ち込めば解決するという単純な話でもない。

大切なのは、どこに何があって、誰と誰がつながれば、何が動くのかを考えること。

町議選で掲げた「つながると、動き出す。」という言葉も、私にとってはそういう意味です。

選挙に出たことも、落選したことも、30年ぶりに同級生たちと再会したことも、今の自分がどこに立っているのかを考える材料になりました。

教育の仕事でも、地域の活動でも、これから考えたいことはあまり変わりません。

人を変えることより、関係を変えること。足りないものを嘆くことより、すでにあるものの配置を考えること。

そして、自分自身も、何かと何かの間に立てる人間でありたいと思っています。